武蔵川部屋の歴史

武蔵川部屋の歴史

武蔵川部屋は、初代武蔵川部屋が昭和六年に開設した後、先代武蔵川部屋(元横綱三重ノ海)の時代には、その類まれな指導力により1横綱、3大関、3小結、5幕内、2十両を育てあげました。
その実績は相撲界に「武蔵川部屋あり。」人々と記憶に刻み込まれる事となりました。
新生武蔵川部屋は、この実績を超える事が、歴代の年寄武蔵川への一番の恩返しであると考え、日々修行に勤めて行きます。

武蔵川部屋の沿革

和暦

西暦

事柄

世相

昭和6年

1931年

初代武蔵川親方(元幕下鴨緑江)が中川親方の死去の跡、部屋を設立

満州事変

昭和8年

1933年

部屋を閉じ、弟子を鏡山部屋に移籍

国連脱退

昭和56年

1981年

第14代武蔵川親方(当時年寄山科)が出羽海部屋から分家独立を許され、円満独立にて武蔵川部屋を創設。その際、13代武蔵川親方(第4代日本相撲協会理事長)が尽力

ロッキード事件

昭和56年~

平成20年

1981年~2008年

第14代武蔵川親方が師匠として 1横綱、3大関、3小結、5幕内、2十両

横綱・武蔵丸
大関・武双山、出島、雅山
小結・和歌乃山、小結・垣添、
幕内・大輝煌、武雄山、武州山、翔天狼、剣武
十両・重ノ海、武哲山

を育てる

平成20年

2008年9月

第14代武蔵川親方(元横綱三重ノ海)が日本相撲協会理事長を拝命

大相撲大麻問題

平成22年

2010年8月

第14代武蔵川親方(元横綱三重ノ海)が日本相撲協会理事長辞任

バンクーバー
冬季オリンピック

2010年9月

第14代武蔵川部屋(元横綱三重ノ海)が部屋付き親方である藤島親方(元大関・武双山)に部屋を継承。指導者を引退

武蔵川部屋は「藤島部屋」になり、看板を下ろしました。

平成25年

2013年2月

第14代武蔵川親方(元横綱三重ノ海)が定年退職にて引退。年寄名跡を弟子である大島親方(元67代横綱武蔵丸)へ継承。

第15代武蔵川誕生へ

平成25年

2013年4月

日本相撲協会の理事会の承認を経て、新生武蔵川部屋設立が承認される。

武蔵川部屋の看板が「武蔵丸」により復活

ページ上部へ戻る